コロナ禍で「都会から田舎へ」が話題になりましたが、移住は突然沸騰したブームではなく何年もの間、静かに広がっています。私も移住者で島根県江津市に引っ越して新しい生活を始めました。今から6年前のことです。
東京都 → 島根県
私が島根県江津市に移住したのは2017年7月でした。
東京の下町で生まれて育ち、半世紀も過ごした後に山陰に引っ越す人生になろうとは全く思っていませんでした。 東京で“終の棲家”と決めたマンションを購入して必死に住宅ローンを払い、長く気持ちよく住めるようにとマンションの維持管理にも力を入れていた大好きな私の城。
どうしてそこを離れることになったのかを振り返ってみると・・・
仕事漬けの日常を過ごす中、リフレッシュとして海外旅行に出かける生活を私は長年続けていいました。 が、母の入院や介護、実家の父の世話をする、という生活が始まると海外に行っている場合ではなくなってしまい、海外の代わりに東京から離れた非日常を感じられる場所として島根を訪れるようになりました。 以前、旅行雑誌の「スパ特集」に載っていた江津のスパ”月江荘”の記事と写真がずっと心に残っていて訪ねたのが始まりです。
私はタラソテラピーが大好きで東京でも定期的に施術に通い、フランスのブルターニュやモナコの施設にも滞在したことがありますが、江津のスパ“月江荘”は全く違っていました。 何百年も続く重厚な日本家屋の離れで1日1組(1組は1人でも可能)だけに、これでもかとサービスとおもてなしを尽くしてくれる贅沢。1日滞在するだけで体が軽くなり、心の緊張を解放できました。
東京で半年間過ごすと(そろそろ月江荘に)と体が警報を鳴らすようになり、年2回の月江荘通いが定着して何となく、本当に何となく(定年退職したらここに住むのもいいかも)という気持ちが芽生え、それはだんだんと確信に変わるというか当たり前に考えるようにもなったのです。それでも、東京では仕事と介護に追われて頭の中がいっぱいになっていたため自分のこれからについて考える余裕はありませんでした。
江津を訪ねるようになって10年が経った時、月江荘のオーナーさんが1軒の空き家を紹介してくれて
「あんた、ここを買わん?」
と突然提案をしてくれたのが決定打(その時はそうは思いませんでしたけど)となって、私の人生は急旋回を始めます。
当時、私は外資系証券会社のITにいました。リーマンショックやらその後のさまざまな事情から東京の人員ががくんと減り、組織体系もしょっちゅう変わり、上司もクルクルと代わるような難しい職場環境でした。
仕事の量はいつもパンパンで質への要求も高くて何かしらのトラブルがしょっちゅう起きていたので目の前のことで精一杯。定年後の島根移住は先の先のことであり、今考えるようなことではなかったのです。
が、私は紹介された空き家が気に入って買ってしまったのです。
じっくりと考えた末の結論ではありません。 “家を買わないか?”という問いに対する答えをずっと保留にしておいても答えは出そうになかったし、マンションを探した時の経験で住みたいと思う家にそうそう出会えるものではないのだから、いつか島根に行くのなら買っちゃえ・・と結構乱暴に決めてしまいました。
やや衝動的な決断ではあったけれど、家を買った、という事実が私の心境に変化をもたらしました。抱えていた大きなプロジェクトの収束が見え、会社が来年度から大きなプロジェクトを考えているのでfeasibility study(実行可能性の調査)のチームを発足させると聞いた時に(辞めるのなら今だ)という発想が浮かんだのです。新プロジェクトには最初から入らずに別の人選をしてもらうのが良いと。
その数年前に母を亡くし、父も自宅での1人暮らしに限界を感じて高齢者住宅へ引越しをしていたので私が父を訪れる回数も減っていました。父はどんどん高齢になるのでいつどうなるか分からないリスクはありましたが、そのリスクをきっちりと測ることはできないし、それを心配しすぎて自分を抑えてしまうより新しい可能性を見つけてみたいと思ったのです。 恐る恐る、父に移住の話をしてみたら思いがけない大賛成の反応が返ってきました。父は昭和ヒトケタの人ですが、新しモノ好きで固定した価値観を持たず挑戦するのが好きな人でした。東西冷戦の時代に私が1人でシベリア鉄道に乗ってモスクワまで行き、東欧各地を回ると言い出した時ももろ手をあげて賛成し、応援してくれたこともありました。 それに、その時の父には自分はずっと健康で長生きする自信があったのです。
そんな経緯で会社を退職し、古民家を改修して2017年7月に引っ越してきました。
しばらくしてから月江荘のオーナーに「どうしてあの時、この家を買わないか?と尋ねたのですか?」と聞いてみたら「私には“時”がわかる時があるのよ。いつでもわかる訳ではないし、誰に対してでもわかる訳ではないけれど、“この人には今コレだな”がピタリと分かる時があって、あの時がそうだった」という答えでした。
月江荘はメインビジネスではなく、本業を別にされているオーナーは大勢の人を雇ってビジネスをされてきたので人を見る眼力が備わっているのでしょう。 それにしても、いつも一緒にいる従業員ではなく半年に1度の来訪者にこんな大胆な提案ができるのは驚きです。
+++++
今回は江津への移住経緯をまとめてみました。
折に触れて移住生活のこともお話していきたいと思っています。
東京の下町で生まれて育ち、半世紀も過ごした後に山陰に引っ越す人生になろうとは全く思っていませんでした。 東京で“終の棲家”と決めたマンションを購入して必死に住宅ローンを払い、長く気持ちよく住めるようにとマンションの維持管理にも力を入れていた大好きな私の城。
どうしてそこを離れることになったのかを振り返ってみると・・・
仕事漬けの日常を過ごす中、リフレッシュとして海外旅行に出かける生活を私は長年続けていいました。 が、母の入院や介護、実家の父の世話をする、という生活が始まると海外に行っている場合ではなくなってしまい、海外の代わりに東京から離れた非日常を感じられる場所として島根を訪れるようになりました。 以前、旅行雑誌の「スパ特集」に載っていた江津のスパ”月江荘”の記事と写真がずっと心に残っていて訪ねたのが始まりです。
私はタラソテラピーが大好きで東京でも定期的に施術に通い、フランスのブルターニュやモナコの施設にも滞在したことがありますが、江津のスパ“月江荘”は全く違っていました。 何百年も続く重厚な日本家屋の離れで1日1組(1組は1人でも可能)だけに、これでもかとサービスとおもてなしを尽くしてくれる贅沢。1日滞在するだけで体が軽くなり、心の緊張を解放できました。
東京で半年間過ごすと(そろそろ月江荘に)と体が警報を鳴らすようになり、年2回の月江荘通いが定着して何となく、本当に何となく(定年退職したらここに住むのもいいかも)という気持ちが芽生え、それはだんだんと確信に変わるというか当たり前に考えるようにもなったのです。それでも、東京では仕事と介護に追われて頭の中がいっぱいになっていたため自分のこれからについて考える余裕はありませんでした。
江津を訪ねるようになって10年が経った時、月江荘のオーナーさんが1軒の空き家を紹介してくれて
「あんた、ここを買わん?」
と突然提案をしてくれたのが決定打(その時はそうは思いませんでしたけど)となって、私の人生は急旋回を始めます。
当時、私は外資系証券会社のITにいました。リーマンショックやらその後のさまざまな事情から東京の人員ががくんと減り、組織体系もしょっちゅう変わり、上司もクルクルと代わるような難しい職場環境でした。
仕事の量はいつもパンパンで質への要求も高くて何かしらのトラブルがしょっちゅう起きていたので目の前のことで精一杯。定年後の島根移住は先の先のことであり、今考えるようなことではなかったのです。
が、私は紹介された空き家が気に入って買ってしまったのです。
じっくりと考えた末の結論ではありません。 “家を買わないか?”という問いに対する答えをずっと保留にしておいても答えは出そうになかったし、マンションを探した時の経験で住みたいと思う家にそうそう出会えるものではないのだから、いつか島根に行くのなら買っちゃえ・・と結構乱暴に決めてしまいました。
やや衝動的な決断ではあったけれど、家を買った、という事実が私の心境に変化をもたらしました。抱えていた大きなプロジェクトの収束が見え、会社が来年度から大きなプロジェクトを考えているのでfeasibility study(実行可能性の調査)のチームを発足させると聞いた時に(辞めるのなら今だ)という発想が浮かんだのです。新プロジェクトには最初から入らずに別の人選をしてもらうのが良いと。
その数年前に母を亡くし、父も自宅での1人暮らしに限界を感じて高齢者住宅へ引越しをしていたので私が父を訪れる回数も減っていました。父はどんどん高齢になるのでいつどうなるか分からないリスクはありましたが、そのリスクをきっちりと測ることはできないし、それを心配しすぎて自分を抑えてしまうより新しい可能性を見つけてみたいと思ったのです。 恐る恐る、父に移住の話をしてみたら思いがけない大賛成の反応が返ってきました。父は昭和ヒトケタの人ですが、新しモノ好きで固定した価値観を持たず挑戦するのが好きな人でした。東西冷戦の時代に私が1人でシベリア鉄道に乗ってモスクワまで行き、東欧各地を回ると言い出した時ももろ手をあげて賛成し、応援してくれたこともありました。 それに、その時の父には自分はずっと健康で長生きする自信があったのです。
そんな経緯で会社を退職し、古民家を改修して2017年7月に引っ越してきました。
しばらくしてから月江荘のオーナーに「どうしてあの時、この家を買わないか?と尋ねたのですか?」と聞いてみたら「私には“時”がわかる時があるのよ。いつでもわかる訳ではないし、誰に対してでもわかる訳ではないけれど、“この人には今コレだな”がピタリと分かる時があって、あの時がそうだった」という答えでした。
月江荘はメインビジネスではなく、本業を別にされているオーナーは大勢の人を雇ってビジネスをされてきたので人を見る眼力が備わっているのでしょう。 それにしても、いつも一緒にいる従業員ではなく半年に1度の来訪者にこんな大胆な提案ができるのは驚きです。
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今回は江津への移住経緯をまとめてみました。
折に触れて移住生活のこともお話していきたいと思っています。
島根県江津市のお料理教室から
🅟🅡🅞🅕🅘🅛🅔
ココットキッチンスタジオは料理、パン、お菓子が学べる料理教室です。
作り慣れた定番のごはんをもっと美味しく作るために意外と忘れられている「基本」、新しい味の世界をのぞいてみる「好奇心」、日頃の疑問や悩みの答えを見つける「発見」の3つを大切にしています。
島根県のちょうど真ん中あたりに位置する江津市にある古民家のキッチンスタジオで一緒に「美味しい」を見つけませんか? 浜田市、大田市、邑南町からも食いしん坊の皆さんにお越し頂いています。
ぜひ一度、足を運んでみてください!‣詳しくはコチラ
このブログではオーナー 福田順子がレシピや料理のワンポイント、食材の豆知識などをお届けしています。
取得資格: ABCクッキングスタジオの認定インストラクターとして登録
ABCクッキングライセンス
ABCブレッドライセンス
ABCケーキライセンス
日本ヘルシーフード協会 ヘルスフードカウンセラー1級
<ディプロマ>
東京會舘クッキングスクール 西洋料理応用専攻コース修了
一般社団法人ベターホーム協会 魚料理、肉料理、飲茶、イタリア料理各コース修了